準優勝しました!

石井です。

私の母校である能代高校(秋田県)が野球で準優勝しました!
\(^o^)/

あれ、甲子園の準優勝は仙台育英(宮城県)でしょ?
…はい、能代高校が準優勝したのは軟式野球です。

と言った具合に、高校で野球といえば甲子園。
メジャーな人気というのはこういうものです。

で、能代といえば「あのバスケが強いところ!」
よく言われます。

バスケが強いのは能代工業高校で、
私の出身は能代高校(普通高校)なんです。

でも私は身長も190cmありますし、
実際にバスケをやってましたし、
そう思いますよね。

私が中学校3年生だったとき、1991年のことです。
そんなに成績が悪くなかった私は、
周囲からは当然のように
能代高校に進むものだと思われていました。

能代高校は普通高校で、地域では進学校でした。
当時は学区制がありましたので、
能代市内で進学を目指すならみんなココでした。

しかし先生との進路面談で、私は
「能代工業高校に行きたい」
と言ったのです。

中学生のときもバスケ部ではありましたが、
それ以上に私は、コンピューターに触りたかったのです。
情報処理系に行って毎日コンピューターに触っていたかった(笑)。

先生にその理由を深く聞かれたあと、
「石井くん、もっとコンピューターに触りたかったら、
普通高校に行って、大学を目指しなさい。
もっとたくさんのコンピューターに囲まれた生活ができるよ」
とアドバイスをもらいました。

その後、秋田大学の鉱山学部(≒工学部)を見学して、
UNIXワークステーションを見て心をときめかせ、
理工系への道を歩み始めたのです。

しかし高校の授業をサボりまくってパソコン通信をしていた私は
東北大学工学部に落ち、
予備校の先生から東京工業大学の存在を教えてもらいました。
恥ずかしながら全然知りませんでした(笑)

東京に進学すれば秋葉原に行けるなぁー
なんて考えて、見たこともない学校を志望校に決めました。

そして、
高校では「工業」には入れませんでしたが
大学で「工業」に入りました。

バスケ解説者で元月刊バスケットボール編集長の
島本和彦さんが、私を紹介してくださるときに、
よくこの「工業」ネタを使ってくださるのですが、
(昨晩もお会いしていてこのネタをまた聞いたのですが)

もしかすると「工業」という言葉にずっと心ひかれていたのが
結果的に結びついたのかもしれないなーと、
受験から20年経った今、あらためて思いました。

子供の頃や青春時代に染み付いた言葉の響きは
ずっと残っている気がしますね。

予告通り動画を撮ってみました!

担々麺屋で担々麺を食べない

あなたのやるべき仕事はお客さんが教えてくれる。
https://youtu.be/r-n-kQc-yPo

ではまた。